毎週土曜日の活動内容を報告したいと思います。
管理人です。今日は活動後のミーティングでのお話ですが,その前に経緯だけ伝えておきます。

まず昼食をきちんと取ったにもかかわらず,集合場所の近くで売っていたベビーカステラを購入。みんなにあげたりしましたが,それでも半分くらいは自分で食べました。

さらに,活動中に小さめのスナック菓子を食べました。子どもも学生も食べるかなと思ったのですが,みんな食指が動かなかったようでほとんどを僕が食べることになりました。

そして,解散してから早稲田奉仕園に向かう途中で手作りパンとそのお店で売っていた小さめの何とかケーキというお菓子を食べました。

また,奉仕園に着いてからは,いつもお世話になっている早稲田奉仕園に恩返しをするために自販機で嫌々ながらコーラを買いました。

おまけにミーティングではある先輩からいただいた郷里のお土産や,部室に置いてあるお菓子も食べました。

さすがにこれだけ食べると,活動で消費した以上のカロリーを取ってしまったと思いましたので夕飯は取らないでおくかと思っていたのですが,ふと学生同士の話し声が聞こえてきました。

「ねえ,あの店に注文しておいたケーキを取ってきてくれない?」

一瞬だけ「T先輩が自分用に買ったケーキの話だよね?」という希望を持ちましたが,さすがにそんなことはありませんでした。みんなで食べるようです。しかし,何で今日わざわざケーキなんか買うんだろうかと思っていたら,なんとハロウィンだからだそうです。完全に忘れていました。

とりあえず一番小さく切ったやつが良いとお願いして食べることにしました。しかし,10年前に70キロ,5年ほど前にも70キロに達しそうになり糖尿病寸前のようなところで何とか体重を落とすことができて,現在55キロで推移しているのですが,今日の食歴から「またリバウンドか?」という言葉が脳裏をよぎります。
「わけのわからない異国の祭りをまた輸入しやがって(`Д´) 」と軽く怒りを覚えましたが,目の前にケーキが来るとあっさりと欲望に負けてフォークを手に取ってしまいました(-_-;)

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         これがそのケーキです。T先輩おごっていただいてありがとうございました。


ところで,今週の十条地域の活動ですが,高円寺の周辺にある商店街に行こうかなと考えています。ご存じの方もいらっしゃると思いますが,いろいろなお店がありますのでおやつ(もしくは食事)を取ったり,ウインドウショッピングをしようかと思っています。

ちなみに,僕が働かせていただいているグループホームがわりとこの近くにあってたまに行くのですが,先週行ったときにほどほどの値段でかなりのボリュームのある食事の取れるところを見つけました。チェーン店ではないうえに,路地の裏の方にあるので常連風のおじさま方が結構いらっしゃいましたので子どもと入るにはどうかな?とも思いますが,うちの子ども達は大食漢ですのでここで昼食を取るのもありかなとも思っています。

どうでもいい話ですが,そのお店は風俗街の先にあり,たまたまそのお店の方へ向かうところを施設長に見られたらしいのです。グループホームに着いてから「勤務前に風俗へ行ってきたの?」なんて聞かれてしまいました(笑)
まあ,子ども達は年齢不相応で場違いに見えるかもしれませんが,ボリュームがあってそこそこ美味しければいいかな〜って考えています。僕が食べたカレーは大盛りじゃあなかったのに結構な量がありました。子ども達はきっと大盛りにチャレンジしてくれることでしょうp(´∇`)q ファイトォ~♪

管理人です。今日はK君と羽田空港に行きました。

流れだけざっと説明すると,浜松町でちょっと時間があったので貿易センタービルの展望台に寄ってからモノレールで羽田に向かいました。
羽田に着いてからはお菓子を買って展望デッキで飛行機を見ながら食べ,その後は少し構内を見てからK君の家族へのお土産を買って戻りました。

これは展望デッキでの話なのですが,とあるお菓子を2人で買って展望デッキに向かったところ,なんと雨が降り始めていました。しかし,幸いなことに屋根のある所の席が2つ空いていたのでそこに座りました。
「ラッキー」と思ったのもつかの間,ふと隣を見るとそこは軽食を販売しているお店の前でした。「店の目の前で持ち込んだものを食べるなんていい根性してるよな」と1人でつっこみを入れながらも,知らないふりをしてお菓子の箱を開けて食べ始めました。
が,なんか変な感じがします。わりと有名な種類のお菓子なのですが食感が違います。わりと柔らかめの食感を期待していたのですが,やや堅めでなかにシャーベット状の物?が入っています。しかも,味自体も微妙です…。(もちろん,味覚は人それぞれですので,決してこんな物を売るなという意味ではありません。あくまでも個人的な感想です)

せっかくそれなりのお金を出して買ったのに,これが脂肪に変わるだけだとは…。なんかお金を出して脂肪を食べてしまった気分です。
K君にも「美味しい?」と聞いてみるとこれまた微妙な返事が返ってきました。
はっきりとは書けませんが,売り文句に騙されてはいけないという当たり前のことに気づかされました。代償は脂肪です。最近太り気味なのに,とほほ…。
一方,K君は学校でダイエットをさせられているらしく,そのストレスを発散させるためにここでは気兼ねせずに食べてもらおうと考えていたのですが,微妙なものを食べて体重が戻っても努力されている先生方に申し訳ないです。せっかくなら美味しいものを食べて体重を戻さないとね!

話は変わりますが,実はK君と1対1で遊ぶのはだいたい半年ぶりです。今日は出会った時から互いに違和感があり,K君の雰囲気もいつもとは違います。それは貿易センタービルの展望台に行っても変わりませんでした。行きのモノレールのなかで「今日は失敗かな…」と思っていたのですが,なんとモノレールから降りるときにK君から手をつないできました。
今まではこちらから働きかけても上手くいかないと考えすぎてしまって,余計に互いに堅くなってしまうということがありました。それで今回はあまり考えすぎず,気楽に接するように心がけていました。
その甲斐があってか,モノレールを降りてからもK君から手をつないできたり,握手?されたり,肩を揉んできたりということがありました。
いつもK君と遊んでいるYほどには楽しませることはできませんでしたが,そうした経緯もありましたので,自分なりにはやることができたかなと思えて,とても充実感を感じることができました。

管理人です。最近の記事は活動内容を直接に伝えるものからは遠ざかっていましたが,今回の記事はさらに距離を感じさせるものかもしれません。あすなろのブログの「私物化」かな?と思わないわけでもないですが,こうしたボランティア活動に関わるうえで意味のあることだと思いましたので文章にしてみたいと思います。

実はMr.Childrenの『彩り』の歌詞を引用したかったのですが,ちょっと調べた限りでは問題になりそうな可能性がありましたので直接引用するのは止めることにします。CDをお持ちの方は歌詞をご覧ください。
引用したかったのは最初のサビと二番目のサビの部分です。簡単に説明するとこんな感じです。
最初のサビは,「何気ない些細な手助けみたいなことをすると,それが連鎖的に繋がっていき,見知らぬ人の喜びを作り出す。そして,そんなちっぽけなことが日々のいきがいになる」という感じです。
次のサビは一転して「そんなちっぽけないきがいは時として下らないものに思えてしまう。そう感じてしまうと,慌ててそのような些細なことのなかに光る部分を探す。それは霞んでしまっているけど,それでも輝いているんだ」というようなものです。どうしてもうまく要約できませんが,表現力不足と引用禁止ということで許してください。

さて,この二つの部分で僕が重要だと感じているのは後者の方です。
ボランティアのような活動をやっているのに意外に感じますか?
後者の部分を自分なりに解釈すると「醜い部分があってもいいんだよ」というふうに受け取りました。こんなことを自分で言うのも何ですが,あすなろやバイトやらなにやらで知的障害のある方と関わっているときに,自分のなかの「汚い」部分が出てくることがあります。多少はショックを受けるのですが,別に良いかと思って受け流すことにしています。だってそれって当たり前のことだと思うから。
それに,受け流すことでそういった部分に囚われにくくなり,その状況にうまく対処できるような気がします。これを偽善的だといって批判する方もいらっしゃるでしょうね。それは別に構いません。考え方の違いだと思っていますので。一つ言わせていいただければ,こうしたことを「偽善的」と受け取る方はニヒリズムに陥りやすいかなと思います。簡単に説明すると「1か0か」という考え方をしていて,ちょっとでも理想的なものから外れるとだめだと思ってしまうとでもいうのでしょうか。
僕は別の考え方をしていて,そういう部分とうまく付き合いながらやることの方が,そうした部分に囚われて邪魔をされることがないという意味で,自身にとっても周囲にとっても有益だと思うのです。また,そうしたあり方の方が人間的だと思いますし,清濁併せ呑むことは自分自身とのつきあい方だけではなく,他人との付き合いにおいても重要ではないかと思うのです。あとは,単純に「光と影」というように片方だけで存在することはできないだろうなというのもあります。

やや脱線しますが,あすなろ的にもこうした考え方は回り回って,今年のサマーキャンプでとある保護者の方に言われたことの問題にもつながっていくと個人的には思うのです。ここで具体的に書くのは内容的にどうかと思われますが,これで済ましてしまうのもどうかと思いますのでやや遠回しにお伝えしてみたいと思います。
あくまでも僕自身の見方ですが,誰かを好きになるのって自然に沸いてくるものではないかと思います。また,最初は微妙な感じだなと思っていたとしても,付き合っていくうちにいつの間にか情が移っているということもあると思います。決して誰かを好きになるのって「強制」されるべきではないし,また「意図的」に行うべきではないと思うのです。
個人的には今回のサマーキャンプで言われたことは「配慮」の問題であったと思っています(きちんとお伝えできなくてすみません)。仮に「好き」という感情が沸いてこなかった場合には,そのことを踏まえたうえできちんと配慮して付き合うということが重要だと感じます。先に述べたように感情の問題は付き合いを重ねるうちにうまくいくこともあるのではないかと思うのです。
でも,それでもどうしようもなかった場合は…,配慮し続けるしかないのかなと思います。しかし,そういう関係もとても重要なことではないでしょうか。特に後から振り返った場合には,『彩り』の第二のサビのような意味合いが見えてくることもあるのではないかと思います。
そして,一番怖いと思うのは「純粋さ」を要求され,それに応えようとしてしまうことではないでしょうか。お互いにとってそれは望ましくない結果を生み出してしまうのではないかと思います。

これが仮に「仕事」でも「感情労働」という問題がありますが,「ボランティア」ということで学生にも,子ども・保護者の側にも特有のイメージが抱かれていることが原因のような気がします。
でも,僕自身はこういうことがあるから面白いとも感じていて,むしろこういう問題から何を引き出すかということが単純に楽しいです。あまり面倒なことから逃げ続けていてもつまらない人生になるんじゃないかなんて…。

最後に念のために書いておきますが,これはあくまで僕の個人的な意見であり,あすなろ会としての公式見解ではありません。ご了承ください。

管理人です。先週の活動では早稲田奉仕園のアイビーハウスをお借りしてホットケーキを作りました。僕の担当した子どもさんはそれなりに楽しめたらしいので,自分なりには良かったかなという感じました。少し考えさせられることもありましたが,今の時点では書かない方が良いと感じていますので,また機会があればそのときに触れようかなと考えています。

今回の話も前回と同様,ランチバイキングでのH君との出来事です。活動中はそれほど考えるようなことはないかなと思っていましたが,後になって振り返ってみると結構考えさせられることが多かったみたいです。

それはバイキングが佳境に差し掛かったときのことでした。食べ終えて満足したのかH君が外に出たいと言い始めました。担当のMが止めようとしていましたが聞いてもらえません。僕は直接の担当ではありませんでしたが,学生のなかで一番多く彼を見てきたのでつい「みんなまだ食べているからもう少し待ってよ」と言いました。
念のために書いておきますが,このときは僕が止めた方がいいかなと思ってこのように言ってしまいましたが,よく考えるとその必要はなかったと思います。理由は前回の記事に書いたとおりです。H君とMとのやり取りの問題ですからね。余計なお節介でした。申し訳ないです。

結果としてその言葉ではH君に納得してもらうことができませんでした。ここで注目してもらいたいのは僕が使った「みんな」という言葉です。もしかすると,この場面だけ見た場合にはあたかもH君が協調性のない,わがままな子どもだという印象を受けるかもしれません。
しかし,以前彼が僕と一緒に遊んでいたときに,店で適当なものを買って食べる機会が何度かありましたが,そのときに彼が先に食べ終えて僕がまだ食べているような場合には,彼はきちんと待ってくれていました。

何が違ったんでしょうか?考えられる理由はいくつかありますが,ひとつ挙げてみると「みんな」という言い方をしてしまったということが考えられます。どういうことかと言いますと,僕と一緒にいたときは具体的な「僕」という個人が目の前にいましたので,僕のことを待たなければいけないということを理解できたのかもしれません。しかし,バイキングの時にはいろいろな「個人」がいたにもかかわらず,「みんな」という抽象的な言葉を使ってしまったために,理解できなかったのではないかということです。知的障害のある方は,もちろん個々人によって差はあるにせよ,一般的に抽象的な言葉を理解するのは難しい傾向にあるということを聞いたことがあります。

また,H君はある程度つき合って関係ができないとこちらの言うことに反応してくれないということもあります。このバイキングの時は十条の学生3人と子どもが2人,早稲田の子供と学生が1人ずつ来ていて,彼の知らない人間も何名かいました。そういう意味でも,安易に「みんな」という表現を使ってしまったことは失敗だったなと思いました。
要するに,「表現の仕方」と「関係」を考えずに,この言い方でも大丈夫だろうと思って使ってしまったということです。

話を進める前に「関係」ということについて補足したいと思います。
思い当たる節がある人もない人もいらっしゃると思いますが,子供の頃に先生から「みんな友達だから仲良くしようね」というようなことを言われたことがあるかもしれません。不快に思われたら申し訳ありませんが,僕はある時期からこのようなことを言われると「知るかよ」って思うようになりました。
同じクラスにいるからといって相性のいい奴もいればよくない奴もいますよね。相性のいい奴とはそれなりに深く,そうでない奴とは我慢しながら適当に付き合います。当たり前のことです。仲良くなんかできませんって。

話をH君のことに戻すと,信頼関係ができているならまだしも,よく知らない人間も多いのにいきなり「みんな」って言われても…って感じだったのかなと思いました。それよりまずそれぞれの学生や子供たちとの関係を作る方が先ですよね。
もちろん,我慢することを覚えることは重要だと思っていますが,働きかけ方次第でそれを少しでも容易にできるのではないかと思います。

今取っている講義で「障害」に関するものがあるのですが,その中で「障害」の考え方の一つとして「障害があるから困難が生まれるのではなく,その障害に対する援助がないことが『障害』である」という考え方があるという話を聞きました。
こうした視点から見れば,様々な前提を飛ばして「みんながまだ食べているから待とうよ」なんて言うことも「障害」なんだろうなと思わされました。

管理人です。これは何回か前の活動でランチバイキングに行ったときの話です。

この半年のあいだH君という子を担当する機会が多かったのですが,その理由に十条地域の学生の人数の問題がありました。簡単に説明すると,学生の人数が限られるので,きちんと見ることのできる子どもを優先的に担当することになり,ほかの子と一緒に遊ぶ機会が減り,結果として特定の子ばかり担当してしまうという悪循環に陥ってしまいました。最近は早稲田地域の学生と子どもの出欠状況の関係で学生を回してもらえるようになり,この日は学生Mが初めて一対一でH君を担当することになりました。

僕は担当する子がいませんでしたのでせっせと肉を焼いていました。後から聞いた話ですが,このときにちょっとした出来事が起きたそうです。それは,H君とMがドリンクバーで飲み物を入れて戻ってきた時のことでした。H君はコーヒーを入れ,Mはお茶にしたそうです。ところが,席に戻った時にH君がMのお茶が入っているコップと自分のコーヒーのコップを何も言わずに入れ替えてしまったそうです。

さて,皆さんならどうしますか?勝手に人のものを取ったということでやはり注意しますか?
ここでMはH君を注意せずにそのまま飲ませ,M自身はコーヒーが苦手だったのでそれを店員に捨ててもらい自分の好きなものを入れ直したそうです。
念のために書いておきますが,この質問の答えに正解や不正解があるとは思いません。僕なりにこうすればいいんじゃないかという考えはありますが,それが決してに「正しい」とは思っていません。それを踏まえたうえで僕なりの意見を述べます。

実は以前の活動でH君が同じようにドリンクバーでジュースを入れたときがありました。そのときもH君が自分で選んで席まで持ってきました。しかし,彼は「自分で選んだ」にもかかわらず,一滴も飲まずに僕の方へコップを置きました。僕は「自分で選んだ」のだから好きなはずだと思い,そのまま彼の方へ返しました。すると,少し混乱したような表情を見せ,そのままパニックになってしまいました。

その日の解散のときに保護者の方にお聞きしましたが,よくわからないと言われましたので,これは自分の推測でしかありませんが,彼は「自分で選んだ」けどそれが自分の好みのものかどうかわからなかったのではないかと思いました。というのは,後日の活動の際に缶ジュースを買う機会があり,そのときはちょっと飲んだ後で僕の方に缶を置いてきました。そのまま彼の方に戻すとまたパニックになる可能性があると思いましたので戻すことはしませんでした。そして「もういらないの?」と聞くと「うん」と意思表示がありました(彼は発話はありません)。このときになってようやく,自分で選んだからといって飲みたいものだったとは限らないのだということに気づかされました。

さて,この日から数日が経って熟考できたうえで(つまりその場での判断じゃないということです),自分がMだったら…ということですが,実際にはH君が僕に対してこういうことをしてくることはありませんでした。おそらく,僕に対してこういうことをやっても止められるということがわかっているからだと思います。ですので,あくまで仮の話ですが,僕ならば彼のコップを戻すことはしません。でも,黙ってコップを替えるのを認める気もありません。替えるのを止めたうえで,別の飲みものを入れなおそうかと聞いていたのではないかと思います。

ここで怒るというのはある意味で正しいと思いますし,その方が多くの人が納得するかもしれませんが,個人的にはどうなのかなと思ってしまいます。コップを入れ替えた件はちょっと置いておいて,自分で選べるけど好きな物かわからないということに注目すると,何回か色々なものを試してみて,どういう味がするのかを経験して理解することができれば,ここで起こった問題はもう起きなくなる可能性もあります。

まとめると,単に「怒る」ということを選択するだけでは見過ごされてしまうことがあること,そして,支援する側の「思い込み」があり,そのことを考慮して,働きかけ方をちょっと変えてみることで別の解決法が見つかるのではないかということです。

最後に脱線してしまいますが,仮に僕がH君が飲み物を入れ替えるところを見ていたとしたら…ということを考えてみたいと思います。
これも後日じっくり考えたことですので,その場で見たとしたら別の対応をしてしまったかもしれませんが,とりあえずそのままにして,僕から注意することはなかったと思います。その理由は,H君はMとやり取りをしているのであって,僕としているのではありません(その証拠に僕に対してはしないようなことをMに対してやりました)。そこで僕が彼らのあいだに入ったらどうでしょうか?H君の頭の中にはMが自分の行為に対してどう反応するかということがあると思います。そこに僕が割って入って何かを無理矢理に伝えてしまうと,Mが目の前にいたとしても,H君にとっては僕の反応を意識しなければならなくなり,Mと付き合う意義が失われます。

保護者の方からもH君が将来サポートを受けやすい大人になれるように,いろいろな学生と一緒に遊ばせて欲しいと頼まれています。
さらに,これは個人的な考えですが,一般に人付き合いにおいては相手によって見せる顔を変えたり,期待することが異なるのではないかと思います。しかし,障害のある方に対しては画一的なやり方で接することが望ましいと考える方がいらっしゃるようです。もちろん,障害があるということでコミュニケーションにおいてどうしても押さえなければならない点があるということは理解しているつもりです。しかし,過度に画一的に接してしまうとせっかく色々な人たちと接するという機会が失われてしまうのではないかと思います。それは残念なことのような気がするのですが…。

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